課金は悪ってなんでなん?

どうも モナカ先輩です。

リア友のブログの更新が無茶苦茶早いので危機感を覚えてたり覚えてなかったり(´・ω:;.:... まあ自分はぼちぼち更新していきます

今回は課金について

自分の将来希望はゲームCGクリエイターなわけでありましておそらくユーザーの課金は生命線にすらなる重要な要素になるわけです。

ただ周りにも「課金は悪だ」っていう人いませんか?最低限自分の周りにはいます。自分もその考え方に漬かっていたため課金には抵抗感がありました。1000時間やってたゲームですら課金を渋ったり600円ですら大金に思えてたり、ネット決済なんて夢にもおもってませんでした。

今自分はゲームを大体3つくらいやってまして(クリユニ・R6S・Minecraft)サブのゲームはあれど大体その三つで課金したゲームもその三つになります。

購入時にsteamにいれた金は別として課金総額だけで考えたら5000円くらいでしょうか。3つ合わせて2000時間以上やってるのにあまりにも少ない。おそらく前述の考え方があったからでしょう。

それではなぜ現ナマで使うお金とネットで使うお金に差があると感じてしまうのか。

現実で1000円は渋ることがないのにネットでの1000円は渋るのでしょうか。

自分の仮定でしかありませんが子供時代の経験と教育にあるのではないでしょうか。子供時代は駄菓子屋なり本屋なりで現ナマで使っていた経験があるからこそ、今現ナマで使うことに抵抗感がない。しかしネットでの経験がないから抵抗感がある。そういうことなのではないでしょうか。

仮定の中に「使いすぎる可能性があるから悪」というのがあったのですが、現ナマと何が違うのでしょうか?むしろ数字で書かれるネットのほうが客観的にお金の量を意識できてそっちの方がいいはずです。

そこで前述したような「教育」があります

大人はよく「一度課金すると限度がなくなる」と言います。本当にそうでしょうか?

多くの無料ソーシャルゲーム 自分のやってるものだとクリユニなりほかならパズドラなりモンストなり・・・よく知りませんが数多くあるでしょう。それらの基本的な資金源は微課金勢と聞きます。大量課金する人は全体の1パーセント未満であり、資金源は微課金勢が主。それなのに限度がなくなると教育します。

おそらくこういった教育をする人は前述のソーシャルゲームの現状を知らない人だからでしょう。数学を知らない人が生徒に数学を教えるようなものです。愚の骨頂ですねw誰かが無知なその人を真似て全国に広まったのでしょう。

閉めに入りますが自分は人生経験的にも自分の好きなゲーム等には課金を推奨します。変な偏見をもとにお金を使うことを渋るのはやめたほうがいいのではないのでしょうか。

 

あとがき

今日のブログはなぜか集中できなかった(´・ω・`)話したいことはいっぱいあるのに言葉にできないこのもどかしさ。これからも文字にする練習続けていきます・・・