pay to win 個人が感じる非課金勢が課金勢と同等に重要な理由

どうもお久しぶりです モナカ先輩のブログ更新です。待たせたなぁ

コロナで家にいて暇なはずなのにブログ更新はさぼっていました すいませんなんでもしm 

というわけで今回の話題なのですが、皆さんpay to winとは何か知ってますか?ゲームでよく使われる用語なのですが、お金を払うことで実質そのゲームでの対戦等が有利に働くことを指します。

例えば課金することで透明になるスキンが買えるなどをpay to winと言います。なお試合後に貰えるコインが増えるなどは直接有利に働くわけではないのでpay to winには当たりません。 前例はあまりにもありえない例のpay to winですが自分のやっているレインボーシックスシージというゲームではあるスキンがあまりにも見にくすぎると話題になっていました。 今回はその話です。

皆さんもTwitter等でこういう発言を見たことがないだろうか。「非課金勢が課金勢に劣るのは当然だ、運営にとって必要なのは課金勢だけであり非課金勢はスーパーの試食をやってるに過ぎない」と、自分もついさっきTwitterにてこういうようなツイートを見ました。しかしこういう発言も見たことないだろうか「このスキンを使ってここに立つとほぼ背景と同化して見えない!ずるだろこれ!」前記した通り自分のやってるレインボーシックスシージというゲームのアッシュというキャラのスキンが見えない。と話題になりました。

ここで疑問に思うことがないだろうか。実際のところpay to winは悪いことなのだろうか。上の意見はpay to winがあって当然である。という意見で下の意見はpay to winが悪であるということになります。

レインボーシックスシージの例で言うならばアッシュのスキンを持ってない非課金勢はアッシュのスキンを持ってる課金勢に劣って当然である。ということになります。

ゲームを公平にプレイするためには全員がアッシュのスキンを持つことを運営は望んでいる。それが常識とは考えずらいです。

それでは逆に運営にとっては非課金勢も重要なのかという疑問にたどり着きます。

ここからは完全に個人的な見解です。まず最初に結論だけ話させていただきます。

「非課金勢は課金勢と同等に重要である」

というのが私個人の見解です。

理由としては「人口」「拡散力」ここにあります。今回は例えやすいようにオンライン対人ゲームを想定して考えます。

例えばあなたはあるゲームの1ユーザーです。その時、ゲームの完成度が同じだと仮定して「マッチング時間が15分のゲーム」と「マッチング時間が1分のゲーム」どちらか一方しか課金できないとするとどちらに課金したいですか?おそらく後者でしょう。これが非課金勢も持っている要素「人口」になります。

対人ゲームに置いてマッチング時間はユーザーストレスに直結することが多いです。さらに人口が少ないとプレイスキルの差が大きいマッチが増えることもあり、ユーザーストレスがこの現象でも溜まります。ユーザーストレスは課金してくれるかにも関係してきます。 そのため非課金勢もいたほうが人口が増え課金勢予備軍のユーザーストレスが軽減し、課金勢になってくれることを推進できます。

しかしこれが対人ゲームでないゲーム。例えばシミュレーションゲームソーシャルゲームなどには関係していません。それでは上記のゲームでは非課金勢はいらないのか?そうはならないと思います。そこで上げられるのが「拡散力」です。

例えばあなたは時間を持て余しているとします。そこで非課金勢の親友があるゲームをプレイしています。そしてその親友のTwitterにはそのゲームのかわいい女の子の絵が投稿されています。あなたはこう思うかもしれません「この女の娘かわいいなぁ、なんていうゲームなんだろう やってみようかな?」

これが「拡散力」です。この後は言うまでもないでしょう。あなたがそのゲームにハマり、課金する。運営としては非課金勢がいなければ入ってこなかった収入。非課金勢が間接的とはいえ収益を生み出したのです。

FGOなんかはこの影響が強く出ていると感じます。無料で得られる拡散力。それが非課金勢なのです。

以下のことから私は非課金勢は必要であると考えるし、私がゲームを作るならば非課金勢に焦点を当てると思います。あくまで私個人の考え方であるため、課金勢だけを重要視する企業もあれば私のような考え方をする企業もあるでしょう。

前者のような考え方をして大失敗した企業を知っているのですが(笑)

さて話を戻しましょう

私はpay to winは無い方が好ましいと思います。ただ私の言うpay to winはユーザーストレスに焦点を当てた考え方です。そのため「pay to winを守るため当たり判定のわかりやすい3Dモデルを使い、スキンはあまり意識しない」などをすることによって帰ってユーザーストレスをためることになると思います。

最後の結論を話させていただきたいのですが私は前記のような「非課金勢が課金勢に劣るのは当然だ」という意見には反対です。利益だけを目にして無為に非利益を削ると大きく利益を損なうことが世の中には多くあります。そのため多くの視点、多くの意見を取り入れるようにしましょう。どこを重要視するのかを決めるのはユーザーではありません企業です。企業が有料にしたり課金必須にしたり非課金勢を優遇することを決めます。ユーザーができることはユーザーの声を伝えること。そのためにゲームを批判したりするのは当然の権利であり、企業もそれを望むはずです。ユーザーの声を聞かない企業はもう潰れてるでしょう。

また非課金勢も優遇しろ、というユーザーの声を批判するユーザーはおかしいのではないかと感じてしまいます。企業をつぶしたいのでしょうか?課金したのにもったいない。

2500文字弱の長文になりましたがあとはあとがき的な何かを書きたいと思います。

言わせてもらいますが非課金勢が課金勢に劣るのは当然だという意見を出すのはスマホゲームユーザーが多いと感じますw差別でも何でもなく私個人の統計的にそうなったのだから仕方のないことですが、ユーザーの質が垣間見えたと感じます。

誰もができる、だれもが触れるが故の質の低下。自分がスマホゲーム作るときはその辺を意識しておこうかなと思いました。自分も人気ゲームとは言えないようなゲームをやってるのですが、やはり非課金勢の動きや、コンテンツの派生(イラストなど)がないが故の「拡散力」の低さが問題なのではないかと思っています。もし自分が創作をするときは意識したほうがいいでしょう。

皆さんも、課金という名の金銭の応援もいいですが、企業への「拡散力」への応援も意識すると自分のやってるコンテンツがよりよくなるのではないでしょうか?

それでは長文でしたがまた次回

pay to win 個人が感じる非課金勢の重要性

どうもお久しぶりです モナカ先輩のブログ更新です。待たせたなぁ

コロナで家にいて暇なはずなのにブログ更新はさぼっていました すいませんなんでもしm 

というわけで今回の話題なのですが、皆さんpay to winとは何か知ってますか?ゲームでよく使われる用語なのですが、お金を払うことで実質そのゲームでの対戦等が有利に働くことを指します。

例えば課金することで透明になるスキンが買えるなどをpay to winと言います。なお試合後に貰えるコインが増えるなどは直接有利に働くわけではないのでpay to winには当たりません。 前例はあまりにもありえない例のpay to winですが自分のやっているレインボーシックスシージというゲームではあるスキンがあまりにも見にくすぎると話題になっていました。 今回はその話です。

皆さんもTwitter等でこういう発言を見たことがないだろうか。「非課金勢が課金勢に劣るのは当然だ、運営にとって必要なのは課金勢だけであり非課金勢はスーパーの試食をやってるに過ぎない」と、自分もついさっきTwitterにてこういうようなツイートを見ました。しかしこういう発言も見たことないだろうか「このスキンを使ってここに立つとほぼ背景と同化して見えない!ずるだろこれ!」前記した通り自分のやってるレインボーシックスシージというゲームのアッシュというキャラのスキンが見えない。と話題になりました。

ここで疑問に思うことがないだろうか。実際のところpay to winは悪いことなのだろうか。上の意見はpay to winがあって当然である。という意見で下の意見はpay to winが悪であるということになります。

レインボーシックスシージの例で言うならばアッシュのスキンを持ってない非課金勢はアッシュのスキンを持ってる課金勢に劣って当然である。ということになります。

ゲームを公平にプレイするためには全員がアッシュのスキンを持つことを運営は望んでいる。それが常識とは考えずらいです。

それでは逆に運営にとっては非課金勢も重要なのかという疑問にたどり着きます。

ここからは完全に個人的な見解です。まず最初に結論だけ話させていただきます。

「非課金勢は課金勢と同等に重要である」

というのが私個人の見解です。

理由としては「人口」「拡散力」ここにあります。今回は例えやすいようにオンライン対人ゲームを想定して考えます。

例えばあなたはあるゲームの1ユーザーです。その時、ゲームの完成度が同じだと仮定して「マッチング時間が15分のゲーム」と「マッチング時間が1分のゲーム」どちらか一方しか課金できないとするとどちらに課金したいですか?おそらく後者でしょう。これが非課金勢も持っている要素「人口」になります。

対人ゲームに置いてマッチング時間はユーザーストレスに直結することが多いです。さらに人口が少ないとプレイスキルの差が大きいマッチが増えることもあり、ユーザーストレスがこの現象でも溜まります。ユーザーストレスは課金してくれるかにも関係してきます。 そのため非課金勢もいたほうが人口が増え課金勢予備軍のユーザーストレスが軽減し、課金勢になってくれることを推進できます。

しかしこれが対人ゲームでないゲーム。例えばシミュレーションゲームソーシャルゲームなどには関係していません。それでは上記のゲームでは非課金勢はいらないのか?そうはならないと思います。そこで上げられるのが「拡散力」です。

例えばあなたは時間を持て余しているとします。そこで非課金勢の親友があるゲームをプレイしています。そしてその親友のTwitterにはそのゲームのかわいい女の子の絵が投稿されています。あなたはこう思うかもしれません「この女の娘かわいいなぁ、なんていうゲームなんだろう やってみようかな?」

これが「拡散力」です。この後は言うまでもないでしょう。あなたがそのゲームにハマり、課金する。運営としては非課金勢がいなければ入ってこなかった収入。非課金勢が間接的とはいえ収益を生み出したのです。

FGOなんかはこの影響が強く出ていると感じます。無料で得られる拡散力。それが非課金勢なのです。

以下のことから私は非課金勢は必要であると考えるし、私がゲームを作るならば非課金勢に焦点を当てると思います。あくまで私個人の考え方であるため、課金勢だけを重要視する企業もあれば私のような考え方をする企業もあるでしょう。

前者のような考え方をして大失敗した企業を知っているのですが(笑)

さて話を戻しましょう

私はpay to winは無い方が好ましいと思います。ただ私の言うpay to winはユーザーストレスに焦点を当てた考え方です。そのため「pay to winを守るため当たり判定のわかりやすい3Dモデルを使い、スキンはあまり意識しない」などをすることによって帰ってユーザーストレスをためることになると思います。

最後の結論を話させていただきたいのですが私は前記のような「非課金勢が課金勢に劣るのは当然だ」という意見には反対です。利益だけを目にして無為に非利益を削ると大きく利益を損なうことが世の中には多くあります。そのため多くの視点、多くの意見を取り入れるようにしましょう。どこを重要視するのかを決めるのはユーザーではありません企業です。企業が有料にしたり課金必須にしたり非課金勢を優遇することを決めます。ユーザーができることはユーザーの声を伝えること。そのためにゲームを批判したりするのは当然の権利であり、企業もそれを望むはずです。ユーザーの声を聞かない企業はもう潰れてるでしょう。

また非課金勢も優遇しろ、というユーザーの声を批判するユーザーはおかしいのではないかと感じてしまいます。企業をつぶしたいのでしょうか?課金したのにもったいない。

2500文字弱の長文になりましたがあとはあとがき的な何かを書きたいと思います。

言わせてもらいますが非課金勢が課金勢に劣るのは当然だという意見を出すのはスマホゲームユーザーが多いと感じますw差別でも何でもなく私個人の統計的にそうなったのだから仕方のないことですが、ユーザーの質が垣間見えたと感じます。

誰もができる、だれもが触れるが故の質の低下。自分がスマホゲーム作るときはその辺を意識しておこうかなと思いました。自分も人気ゲームとは言えないようなゲームをやってるのですが、やはり非課金勢の動きや、コンテンツの派生(イラストなど)がないが故の「拡散力」の低さが問題なのではないかと思っています。もし自分が創作をするときは意識したほうがいいでしょう。

皆さんも、課金という名の金銭の応援もいいですが、企業への「拡散力」への応援も意識すると自分のやってるコンテンツがよりよくなるのではないでしょうか?

それでは長文でしたがまた次回

課金は悪ってなんでなん?

どうも モナカ先輩です。

リア友のブログの更新が無茶苦茶早いので危機感を覚えてたり覚えてなかったり(´・ω:;.:... まあ自分はぼちぼち更新していきます

今回は課金について

自分の将来希望はゲームCGクリエイターなわけでありましておそらくユーザーの課金は生命線にすらなる重要な要素になるわけです。

ただ周りにも「課金は悪だ」っていう人いませんか?最低限自分の周りにはいます。自分もその考え方に漬かっていたため課金には抵抗感がありました。1000時間やってたゲームですら課金を渋ったり600円ですら大金に思えてたり、ネット決済なんて夢にもおもってませんでした。

今自分はゲームを大体3つくらいやってまして(クリユニ・R6S・Minecraft)サブのゲームはあれど大体その三つで課金したゲームもその三つになります。

購入時にsteamにいれた金は別として課金総額だけで考えたら5000円くらいでしょうか。3つ合わせて2000時間以上やってるのにあまりにも少ない。おそらく前述の考え方があったからでしょう。

それではなぜ現ナマで使うお金とネットで使うお金に差があると感じてしまうのか。

現実で1000円は渋ることがないのにネットでの1000円は渋るのでしょうか。

自分の仮定でしかありませんが子供時代の経験と教育にあるのではないでしょうか。子供時代は駄菓子屋なり本屋なりで現ナマで使っていた経験があるからこそ、今現ナマで使うことに抵抗感がない。しかしネットでの経験がないから抵抗感がある。そういうことなのではないでしょうか。

仮定の中に「使いすぎる可能性があるから悪」というのがあったのですが、現ナマと何が違うのでしょうか?むしろ数字で書かれるネットのほうが客観的にお金の量を意識できてそっちの方がいいはずです。

そこで前述したような「教育」があります

大人はよく「一度課金すると限度がなくなる」と言います。本当にそうでしょうか?

多くの無料ソーシャルゲーム 自分のやってるものだとクリユニなりほかならパズドラなりモンストなり・・・よく知りませんが数多くあるでしょう。それらの基本的な資金源は微課金勢と聞きます。大量課金する人は全体の1パーセント未満であり、資金源は微課金勢が主。それなのに限度がなくなると教育します。

おそらくこういった教育をする人は前述のソーシャルゲームの現状を知らない人だからでしょう。数学を知らない人が生徒に数学を教えるようなものです。愚の骨頂ですねw誰かが無知なその人を真似て全国に広まったのでしょう。

閉めに入りますが自分は人生経験的にも自分の好きなゲーム等には課金を推奨します。変な偏見をもとにお金を使うことを渋るのはやめたほうがいいのではないのでしょうか。

 

あとがき

今日のブログはなぜか集中できなかった(´・ω・`)話したいことはいっぱいあるのに言葉にできないこのもどかしさ。これからも文字にする練習続けていきます・・・

人はなぜ同じ過ちを繰り返すのか?! 体いてぇ(本心)

残念だったな 生きてるよ

どうもご無沙汰しておりますモナカ先輩です(*・ω・*)ノ))フリフリ

最近ブログ更新してなかったので久々に書き書き・・・というのは建前で本心は現文の課題にするためですね(直球)このブログのURLでも貼っとけば資料との関連付けは問題ないだろう(天才)教師にネット上の活動ばれるのなんてコラテラルダメージでしかない( ー`дー´)キリッ

さて本題へ移ろう 人はなぜ同じ過ちを繰り返すのか?!とかいうたいそうな命題つけておいて話す話題はジムについてですね(;'∀')

最近初めてジムに行きまして2100円くらいするんですけど初回は無料( ´∀`)bグッ!かなり得しました。親父は結構通ってるようで会員になってました。結論は(モナカ先輩のTwitter引用)

やばい 持久走とは違う疲れ

プロテインは不味くはない

親父やばい 120kg普通に持ち上げる

ジムにハマる榎宮先生はやばい

若い人はほぼいない おっさんばかり

しんどくは無い ただ しんどい

下半身に対して上半身貧弱すぎる

ダンベル何キロ持てる?」 Answer 1kgでした(´・ω・`)

うんゴミクソな結果ですねとんでもない洗礼を受けました。体痛かったし

この話が3月の28日でしてその時から3日間くらいずっと体痛かったです( ;∀;)

さて時は変わって今日は4月3日・・・話の流れから察するだろうジムに行ってきました

ジムといっても近所のやっすい運動場でしたが結構設備がよく値段も500円未満と満足できる場所でした。近所にあんないいところあったんだなぁ もう行きたくないけど

体いてえええええええヒィー(゚ロ゚ノ)ノ

失礼、本心がポロリと なんで5日前にあんなひどい思いしたのにまた行くんですかねぇあほちゃうか?ほんと人は過ちを繰り返すんだなぁってつくづく実感しました( ;∀;)

もうぜってー行かねえからな!もうぜってー行かねえからなぁぁぁぁぁぁぁ!

即落ち2コマこうご期待ください

さて人はなぜ過ちを繰り返すのか 答えは単純 喉元過ぎれば熱さを忘れる そういうことだ( ー`дー´)キリッ

おそらく3日後には痛み引いてまた行くんだろうね 俺あほだからね仕方ないね(ジム好きな人へのヘイトではありません)

本題についてちょっと触れると戦争とかはまた別の理由だろうけど(経済とかそんなかんじ)喉元過ぎれば熱さを忘れる こころに刻んでまた同じ過ちを繰り返してジムに行きます。

コロナウイルスが蔓延してからなぜか蔓延する前よりもアクティブに動くようになった俺氏ですが面白かったらまた見てくだされば幸いです それではー

 

トレパク・自作発言問題への私個人の見解

新型コロナの影響で学校が休校になってる今日この頃皆様はいかがお過ごしでしょうか私は元気です・・・・たぶん

さて、だらだら書きたいことは大量にあるのですが書こうものなら1000文字くらい書いてしまいそうで怖い 自分の悪い癖やな。自分の思いをブログにするのも今回で4回目そろそろ慣れてくるかと思いきやそんなことはなかった ファッ!?(´゚Д゚`)これからも精進します・・・

今回の話題なのですがおそらく自分の身近な絵師さんが自作発言問題?にあったっぽいです。自分のTwitterを知ってる人ならわかると思いますが私もイラストを上げている身気持ちは分からなくもないです。これで身近な人がトレパク・自作発言にあったのは三回目かな?まだ自分自身はあったことないです。

この問題に関しての自分の見解としては「特に問題性は感じない」というのが率直な見解です。あと補足なのですがトレパク・自作発言を推奨してるわけではないのであしからず。

自分がもしトレパク・自作発言の被害にあったらどうするか。答えは一択「そいつに勝てばええ」それだけだと考えてます。というか良きライバルとしか考えないと思います。自作発言したツイートよりファボリツとればいいし、トレパクした絵より自分にとっていい絵を描けばいいと思ってます。

なんかそいつに注意するとか晒すとかするのは悪手中の悪手だと思います。訴えるならまだしもそれ以外の選択肢って悪手以外ないんじゃないかとすら思います。

 

今回文字にするのがすっごい難しいwまだ自分がその被害を受けてないからでもあるでしょうが、問題なのか?と思うレベルのことだと考えています。自分が被害受けたら訴えるか上記の通り、そのくらいの楽観的思考で生きるほうが楽だと思います。

それでは

俺の悪口書かれて大喚起w

どうも連続投稿は2回目にして尽きたモナカ先輩です。前書きを書くにはあまりにも変化がないので早速本題へと・・・

「俺の悪口書かれた!やったぜ★」

事の発端は俺の同級生に「変わりがいるからお前にそんなに価値感じねえぞ?読書仲間のほうがまだ価値ある」といったことから始まります。これ自体に後悔はしていません。というか後悔する要素ある?まぁ2年以上関わってきたわけですから倫理的にどうなのか?という点の考察は免れないでしょうが、俺の信念上価値を感じない人間にはそれ以上の奉仕はしないと決めているんで特に問題点は感じてないです。

その後同級生にそれに対して愚痴られました。相互フォローの仲なのであちらも俺のことを悪く言いたいという気はないようです。相手側が人間でよかったwそしてそのツイートのリプに間接的とはいえ俺の悪口が書かれていたわけですよ。それがもう面白くて面白くて、それだけでご飯3杯は食えるレベルw

このブログもその悪口言った相手を悪く言うわけでも同級生を悪く言う気はさらさらないのであしからず。

そのリプの内容というのが「そいつ数年後同じセリフを投げつけられてズタボロになりますよ」「孤立していくのがオチ」おっそうだな(共感)

相手側が俺の素性を知らないとはいえかなり浅い考察だなぁと。いや俺には到底理解できないような深海よりも深い考察があるのかもしれないw

まず初めに同じセリフ投げつけられたことは大量にありますw勉強できない・運動できない・共感能力も薄い・友達付き合いもない こんな人間ですもんそりゃあ大量に価値ないなんて言われてきましたわ 親から友達・教師も含めて。

孤立してくってwもうかなり孤立しちゃってますというのが本音。中学校時代から一人でトライアンドエラーの繰り返しでボッチゲームを続けてきた身、孤立も孤独も感じ続けてきたから慣れた。だから一人でやれる能力を磨き続けてきたしこれからもそれを生かし続けていく。

あ 補足なんだけど同級生にも価値感じないわけではないよ。価値はあるけど俺は必要として無いだけ、同級生の価値を欲してる人は大量にいると思う。独身大人男性が赤ちゃん用粉ミルクを欲するか?つまりはそういうことだ。

同級生の活躍にはこれからも期待するし、俺が価値を感じる程度の奉仕はするし、価値がないといってるわけではない。ただ俺は必要ない。そいつは俺以外の場所で活躍すればいいだけだと俺は思う。

というわけで相変わらずのがばがばブログだけど閉めに入らせてもらう。今回は間接的とはいえ悪口を言われて大喚起した話を文章作る練習としてブログを書いてきた。俺はこれからも価値を感じない人間にはあまり奉仕しないし、俺が価値を感じる人間には奉仕する。俺が価値を感じてほしい人にはその人が価値を感じるように自分が変わる。ただそれだけをできない人にとやかく言われたのが面白かったw

自分に価値を感じてもらえる人になろう。

一番やるべきことって何?

幻の第二回でございます(`・ー・´)ドヤ! おそらく世界のどこかでは1分で60秒が過ぎる突然変異が起きるでしょう まあそんなことはどうでもいいとしてまた雑に書いていきたいと思います。あと前回との変更点として敬体になってます。こっちのほうが書きやすかったっていう率直な理由です。たぶんちょいちょい変わるw

今回は自分の好きなジャンルの一つである人生論について語っていこうかなと思います。おそらくブログでもこういう話題が結構多いんじゃないかと思います。先に言っておきますが自分における自分への自分のための人生論なのでほかの人には当てはまらないと思います。

さて前提条件としてやるべきことに分類されることを3つに分けていきたいと思います

1やりたいこと(人生を賭けたいこと)

2やりたいことの選択肢を広げるためのこと(後述でどんなことかは書く予定)

3やらされること

基本的にやるべきことの順序は上の順番通りです。おそらく多くの人は察するでしょう

しかし問題は2番にあります。これを1とごちゃ混ぜにしてしまう人が多いように感じます。2の一番多くを占めるのが「勉強」でしょう。勉強は多くの人がやらされるので3に入れたくもなりますが僕は2番に入れます。異論しか認めません

自分の周りによくいる1が見つからないという人、これの多くは2を極めすぎてるからではないでしょうか?2に時間を割きすぎているがゆえに1が見つからない。典型的なパターンです。自分は1を見つけてから2を極める。これが必須と考えています。自分の話し相手にはよく1を見つけることを勧めていますし自分も1が見つかってから2への接し方が変わりました。

それもそのはず2がやりたいこと、例えるなら勉強で人生をささげたい人など俺以上の変態さんしかいないでしょう。しかし周りは勉強を進めてくる。だから周りに怒られたくないから仕方なく2を極める その結果1の時間が無くなるそう思っています。

雑に書くと自分の人生論はこんな感じです。あまりにもガバガバすぎる文章なので質問等はDMなどに突撃してください(ここのコメント欄ではほぼ返せないと思う)読者の現状は知らないし知りたくもないし考えたくもないので(というかいるかどうかもわかんないので)役に立つかどうかは分からないので自分の例を挙げておきます。

自分にとって1はお絵描きです。これは人生を賭してでも極めたいことです。そのための2番は勉強はもちろんのこと2番としてエレキギターをやってます。今後の進路でゲームCGクリエイターになるつもりなのでイラストと音楽とCG技術。これらを組み合わせて何かできればなと思います。そして勉強についてです。俺はこれに関しては卒業できれば何でもいいと思っています。自分の進路上卒業さえすれば入れる学校なので勉強に時間を費やすのはもったいないことこの上ないですし、それをやるならイラスト描いていたほうが数段幸せを感じます。なので自分の自伝から伝えたいことは「どれほど重要かを考えてそれにあった時間を費やす」それが大切だと思います。これをしないと有限の時間をだらだらと費やすことになりかねないからです。

小学生や中学生のころまでは2番を極めるだけで人としてほめてもらえたかもしれませんがそれ以降は2番だけでは特異性がないので尊敬されることや褒められることは減ります。なのでまず1番を見つけることから始めませんか?そして一度立ち止まって、どれにどれだけ時間を費やすべきか考えてみたらどうでしょうか。

いつか話したいですが人はこんな簡単に変わることはあり得ません。おそらくこれを読んだ明日もまた同じようにだらだら過ごすのでしょう。ただ1番の大切さを知った時このブログを思い出してもらえれば幸いです。

ではまた次回投稿されたら・・・